永昌寺は政宗公
伊達藩開府以前の古寺と伝えられています。古来より「1日1歩の永昌寺」と讃えられていたとのことです。 当初の場所は現在地にあったのではなく、北四番丁、今の
国道48号線、東北大学付属病院の付近だったと言われています。
当時の永昌寺については資料が全くないので、開創の年、開山が誰か、何宗であったか、残念ながら一切わかりません。
政宗公は元和8年(1622年)、最上家が幕府に領地を没収されたため、実家である山形に帰っていた母義姫を仙台に呼び、妻愛姫と共に手厚く孝養を尽くしましたが、翌元和
9年、義姫は76才で亡くなりました。
義姫の戒名は「保春院殿華窓久栄尼大姉」
。遺骸は北山覚範寺にて火葬され埋葬されました。その後、現在の永昌寺の墓地中央部に於いて保春院殿の葬礼が行なわれ、灰塚が祀られました。
永昌寺は保春院殿の葬礼場である灰塚を祀るため、現在地に移転したそうです。
寛永15年(1638年)、永昌寺は北四番丁から新坂町の現在地に移り、保春院殿のお位牌を祀って現在に至っています。現在地の永昌寺の御開山は北山輪王寺十三世・角外麟恕(かくがいりんにょ)大和尚で
す。 |